キューピッドの日事件 3



打開策が見つからないまま、イベント開始の時刻は目前に迫っていた。
最終的に、どうにもしようのない事態に陥ったらロロがルルーシュの帽子を奪って代わりに逃げることになったが、それも作戦としてはどうなんだとヴィレッタはため息をつく。中盤は咲世子が代わりに出るのだが、途中交代するくらいならいっそ最初から最後まで咲世子に代わってもらえばいいのにと思わないでもない。

結局のところ、ルルーシュは付き合いが良い。
記憶改竄を受けていた間もそうだったが、ぶちぶちと文句を言いつつもどのイベントにもちゃんと参加していた。

こういう面も人気がある理由のひとつなんだろうとヴィレッタは冷静に分析するが、いかんせん今回は身の危険が間近に潜んでいる。今回のイベントの強制力がどこまで及ぶのかは分からないが、意に沿わない相手とでもおそらく今日一日はしっかり付き合わされることだろう。それだけ時間があれば、色恋に疎いルルーシュなんてひとたまりもない。

ゼロの作戦行動にまったく関係のない今回のイベントなど、本来ならヴィレッタは付き合う義理はないはずだ。だが、教師として、女として、見過ごすわけにはいかない。

スピーカーから流れるミレイの合図を耳にして、ヴィレッタは彼女をさりげなくフォローできるようにと3−Dの教室へ急いだ。


***



間近で人が何かにぶつかったような「バン!」という大きな音を聞いて、ルルーシュの身体は驚きでびくっと跳ねた。目の前に灰暗色が広がっているのに気づいて、思わず飛び出そうになった悲鳴を押し込む。

「姉さん……」

弟に苦しそうな息遣いとともに呼びかけられて、ルルーシュはこの奇策が成功したのだと分かった。なんとか首を動かしてうしろにいるロロを見やると、顔には汗が浮かんでいる。思った以上にしんどそうな様子に、申し訳なさでいっぱいになった。

「すまないロロ、こんなしょうもないことのために……」
「しょうもなくなんて、ないよ。大丈、夫……姉さんの貞操を守るためなら、これくらい」

ロッカーに潜んでいることがバレぬように小声で言葉を交わす。
この場にいた全員が、突然のルルーシュ消失をこの目にして、教室のなかはいつにないほど沸いていた。嘘、だの、信じられない、だのと絶叫に近い声が響いている。教室から出て行った人間はいないようで、むしろこの騒ぎを聞きつけて何人もの生徒が飛び込んでくる。「もしかしてまだこの近くにいるんじゃないか?」と声もあがっていて、油断できない。

(この人数で教室をくまなく探されたらアウトだ)

最悪の状況が脳裏に浮かんで、自然とルルーシュの身体は小刻みに震える。
するとうしろから伸びてきた腕にそっと抱きしめられた。

「心配しないで、いざとなったらまた学園全体にギアスをかけるから」
「でも、それではおまえが……」

焦る声にかぶさるように、鍵のかかったロッカーを無理やり開けようとする音が近くでした。ハッと身を竦ませる。ガチャガチャという荒っぽい音はだんだんと近づいてきていた。どうやらひとつひとつロッカーを調べているらしい。

(ヤバイ……!)

息を呑む。

だが、このロッカーも開けられてしまうというそのとき。

「おい、ランペルージは校舎1階南にいるってよ!」

廊下から聞こえたその一言に、3−Dに詰めていた生徒全員がいっせいに走り出した。けたたましい足音は遠く離れてゆき、すぐに聞こえなくなる。教室に静寂が訪れ、ルルーシュはほっと胸を撫で下ろした。
目の前で、ゆっくりとロッカーが開けられる。突然明るくなった視界のなかに立っていたのは、褐色の肌をしたこの学園の体育教師だった。

「助かった、ヴィレッタ」
「嘘の情報をリークしただけだから、バレるのも時間の問題だ。急いでここから離れるぞ」

そう促されてルルーシュはロッカーから出ようとしたのだが、巻きついたままの弟の腕に阻まれる。

「ロロ……?」

(もしかして先程のギアスの負担が?)

心配になって顔を覗き込もうとするが、体勢的に無理がある。そのうえロロはどうやら頭を背中に押し付けているようで、柔らかい髪の毛しか見ることはかなわない。
しかし、大丈夫かと訊ねると、今度はあっさり身体を離してきた。

「ごめん姉さん、もう平気だから、行こう?」
「……無理だけは絶対にするなよ?」
「うん」

見慣れた笑顔で急き立てられ、ルルーシュは人気のない廊下へと足を向ける。今さっき感じた恐怖心からか、足元が覚束ない。だが昨夜大勢の人間に追いかけられ、あわや潰されるところだったことを思い出し、ルルーシュはおのれを奮い立たせる。

イベント開始直後だというのに、もういっぱいいっぱいである。

「何であのまま放っておいてくれないんですか、無粋ですよヴィレッタ先生」
「おまえ、この状況でそれを言うか……!」

当然、弟が憎憎しげに発した舌打ちも、ふたりの会話もルルーシュの耳に入ってはこなかった。


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