キューピッドの日事件 4



ヴィレッタの流した嘘の情報のためか、3階の廊下には人影がまったくない。騒がしさはすべて下の階か、校舎の外から聞こえてくる。飛び交う単語はどれも姉の名前ばかりで、ロロは苛立ちを募らせていた。

(ああもう、生徒会長は余計なことばかり……!)

本来ならすでに帽子を交換し合っていたところだったのにと歯を噛む。
ルルーシュ不在の間に咲世子が取り付けた約束すべてをこれで破棄することができると思っていたロロにとって、今朝「きょうだい間での交換禁止」を宣言されてしまったのは痛い誤算だった。昨夜、姉からイベントの概要を聞かされ「そういうわけだからロロ、すまないが始まった直後に私と帽子を交換してくれないか?」と頼まれたときは天にも昇る心地だったのに、今は地を這うような気分である。

邪魔者を追っ払うこともできず、姉ともカップルにはなれないこんなイベントなど、ロロには意味がない。
もういっそ機情のモニタールームでずっと身を潜めていればいいのにと、前を走るルルーシュの背中を恨みがましく睨む。確かに怪しまれるかもしれないが、学園の構造に精通しているルルーシュのことだ、いくらでも言い訳は立つ。
嫌がりつつも律儀に参加するルルーシュの気持ちがロロにはさっぱり分からなかった。下手すると顔見知りでもない相手に無理やり帽子も身体も奪われるかもしれないというのに、女性が最低限持つべき貞操観念をどこかに忘れてきてしまっているのだろうか。帽子を奪われることに関しては危惧を抱いても、自分自身にまでは考えが及ばない。

(もう、危なっかしすぎるよ)

だからこそロロはルルーシュを守るべく、こうして片時も離れずにいるのだ。

数歩先でぱたぱたとスカートの裾が揺れている。

ロッカー脱出後から走り通しだ。人の気配を察知しては身を潜めているが、体力のない姉はこのまま走り続けるつもりなのだろうかと思うと心配になる。
疲弊したところを見つかりでもしたらひとたまりもないのに――

「……姉さん!」

曲がり角の先からこちらへ向かってくる気配を感じて、ロロは手近な教室へ姉を引っ張り込んだ。
その際「わっ」と短い悲鳴がルルーシュの口からこぼれたが、幸いなことに気づかれず、生徒はそのまま教室のまえを通過して行った。

「姉さん大丈夫?」

見ると、床にへたり込んだルルーシュの肩は上下していて、息も荒い。頬は上気してばら色になっているし、顔には汗が浮かんでいた。
こんな状態のルルーシュが人前に出るのは、狼の群れのなかにウサギを放り込むのと同じくらいに危険である。

「少しここで休んでいく?」
「いや、さっきヴィレッタに、また、嘘の情報を流すよう、頼んだから、人がはけた隙に、ここを、出る……」
「そういえば、姉さんどこに向かっているの?」

ただルルーシュのあとについて走っていただけのロロは、ここでようやく行く先に疑問を抱いた。

すると凄みのある笑みを浮かべたルルーシュから「元凶の、ところだ」という返事が返ってきて、思わず「え」と聞き返してしまう。

「生徒会長のところに行くの?」
「ああ、俺をつれてきた者の所属する部には部費10倍なんてふざけたことを、スタート直前になって高らかに宣言した生徒会長のもとにだよ。あの人のせいで生徒の9割が俺の敵に回って……! うう……!」

少し整い始めていた息遣いは、怒りのためか再び荒くなっていた。

「姉さん……」
「ロロ!」

姉の気を落ち着けようと伸ばした手を、逆にがしっと握り締められる。

「すまないが俺が会長のところに行くのを援護してくれ」

それがどんなことであれ、ロロが姉の願いを一蹴することはない。潤んだ瞳で訴えられればなおさらだ。

何となく先の展開が読めたロロはこの場でルルーシュの帽子を奪って原型をとどめないほどに切り刻んでしまおうかと悩むが、結局うなずくのだった。


***



やっぱり、とロロは呆れつつその光景を人垣のなかから見守った。

「は〜いみなさん注目! 現生徒会副会長のルルーシュ・ランペルージはこのときをもって私ミレイ・アッシュフォードの彼女となりました!」

ルルーシュ捕獲を狙っていた大勢の生徒や、たまたまその場に居合わせた男女の中心で、ふたりの女子の交際が宣言された。
ミレイは楽しそうに彼女であるルルーシュの肩を抱くが、ルルーシュは直立不動の状態で目を白黒させている。現状を理解し切れていない様子だ。おそらくルルーシュの頭のなかは「なぜだ?!」という疑問でいっぱいであろうことは、傍目で見ているロロからも明らかである。

(作戦失敗、か)

最後までふざけまくる生徒会長を一泡吹かせようと自ら生徒会室へ特攻をかけたものの、なんだかんだと言いくるめられ、帽子を奪われてしまったのだろう。その光景がありありと目に浮かぶ。

誰かが入ってきてはいけないから入り口のところで待っていてくれとルルーシュが告げた時点で、ロロには結果が見えていた。結果とはすなわち、ミレイとルルーシュがカップルになっている、現在の状態。周りで拍手が湧くなか、ひとり深くため息をつく。

(だって姉さん、あの人の押しに弱いんだもん)

それでもロロが姉ひとり生徒会室へ向かうのを止めなかったのには訳がある。

「そういうわけで在校生諸君! 私が卒業してもルルーシュに手を出しちゃだめよ〜」

あちこちから「それはないでしょう!」という不満の声が沸き起こる。「だめ〜だってルルーシュは私の彼女だもの!」と溌剌に返す会長のしたり顔がついとロロのほうへ向き、ウィンクをかましてくる。

(これなら文句ないでしょう?)ということだろう。ようやく溜飲が下がる。

1年の付き合いながらも、生徒会長がこういうフォローを忘れないことを、ロロは分かっていた。

しょうがないなあと思いつつも、祝辞を述べるべく、ピンクの帽子を交換し合ったカップルのもとへ向かう。もちろんそれだけではなく、ミレイ生徒会長からルルーシュの恋人というバトンを強奪、もとい回してもらうためでもあったのだが、このあとの一騒動はまた別の話。




end.


2008.07.05  Yu.Mishima