ballast 3
ルルーシュの妹の部屋にはその気配がまだ残っていた。
明かりを落としたところでそれが薄れるようなこともない。暗がりのなかにぼんやりと浮かぶ家具のシルエットは、逆に彼女の存在を僕に知らしめているように思えた。思春期の少年の部屋にそぐわない物は多少いじったようだけど、おそらく僕がいま寝そべっているベッドは昔使われていたものだ。もしも気の利く人間が機情にいなかったとするとシーツもそのままの可能性がある。
普段は気にならないはずの細かいところが妙に気になってしまうのは、いつもと調子が違うからだろう。
気まずい思いをした夕食から数時間が経過していた。
食後も後片付けを一緒にしたり、テレビを見ながら軽くお茶したりと、なんだかんだで入浴時間以外はルルーシュとずっと同じ空間にいた。軍の共同生活とは勝手が全然違う。軍に居るときは、必要な時間以外は互いに干渉することはない。だけど「家族」はそうもいかないと、今日僕は身をもって教えられた。こうして誰かと生活時間を共有することなんて今までなかったから、どっと疲れた気がする。監視対象である彼が目の届くところにいることは、監視する側としては楽なはずなんだけど、僕には荷が勝ちすぎている。C.C.が現れるまでこれがずっと続くのかと思うとため息がでてきた。
軍の人間や暗殺対象の人間と居るときはそうでもないのに、ルルーシュと居るとどうも落ち着かなくなってしまう。今日一日で一年分の動揺をした気分だった。
(明日から学園に復帰することになっているから、授業中は気を抜けるかな)
こうして自室に居ても、結局彼らの気配が気になって気を緩めることが出来ない。至るところに仕掛けられた監視カメラの向こうにいる、複数の人間の視線はまったく気にならないのに。
どうしてだろう。
答えは分かっているのに、思わず自問してしまう。
そんなことを考えている間にも、建物内の空気は動いていた。かすかに聞こえる足音から察するに、誰かが階上から下に近づいてきている。機情の人間は原則ここに立ち入らないことになっているから、十中八九、その誰かはルルーシュだ。
このまま外に出て行く気だろうか?
だけどそんな疑問はすぐに打ち消されることになった。階段を下りきったらしいルルーシュの足音はエントランスへは向かわずに、まっすぐこっちへ向かってきている。車椅子の少女のために用意された一階の、現在は弟である僕の部屋へ。
思った通り、足音はドアのまえでぴたりと止まって、控え目なノックが静かな部屋に響いた。
「はい」
半分起き上がりながらはっきり返事をすると、寝間着に着替えたルルーシュがゆっくり室内に入ってくる。暗くても僕の目が冴えていることが分かったようで、まだ眠ってなかったんだなと嗜めるように彼は言う。
返答に窮して「眠らなかったんじゃなくて、眠れなかったんだよ」と返すと、ルルーシュは思いの外暗い顔をして「そうか」と頷いた。
なんでそんな顔を彼はするんだろう。何か変なことを言ったかなと自分の言葉を思い返してみても、べつにおかしなところはないはずだ。いや、自分が自覚してないだけで一般的には変だと思われるようなことを言ってしまったのかもしれない。
(どうしよう)
こういうとき、どう対処すればいいのかなんて僕には分からない。台本にもこんな会話は載ってなかった。ついだんまりになってしまう僕を、兄である彼は不審に思うかもしれないと考えると、抑えようもない焦燥感が苛んできた。顔を見られたくなくて思わず俯く。
けれど――
「ロロ、今日は一緒に寝よう」
――ルルーシュの突然の提案を聞いて、次の瞬間には俯かせていた顔をおもいきり上げていた。
「え?」
「ほら、もっとそっちにどいて、場所をあけろ」
布団をめくりあげて中に入ってこようとするルルーシュを避けるように、左へ身体をずらす。一緒に寝るって、本気だろうかと思いながらつい彼の顔を凝視していると、不意にルルーシュの手が僕の頭のほうへ伸びてきた。
いつでもギアスを発動できるよう、右目に意識を集中させる。
だけど彼の手はゆっくりと僕の頭を撫でるだけで、それ以上のことは何も起こらなかった。
「………………?」
「まだ、顔が強張ってるな」
ルルーシュの言葉には落胆の響きが含まれている。彼の言う「強張っていない顔」が写真のなかの少女の笑顔を指しているのなら、申し訳ないことに当分、下手すると一生見せることはできないんじゃないかと思う。何となく気まずさを感じて視線を逸らすと、ルルーシュは慌てたように付け足してきた。
「ごめん、今のは言葉が悪かった。急がなくていいから、ゆっくり気持ちを落ち着けていこうってことが言いたかったんだ」
そのときの彼の表情を、なんと形容すればいいのかさえ、いまの僕には分からない。
「だからとりあえず、今日のところは寝よう」
夜目でも彼が微笑んでいるのがはっきりと見える。戸惑いながらも何とか頷くと、ルルーシュも満足したように頷き返し、ゆっくり横になった。それに倣って僕もそろりと横になる。
「ロロ、いくらベッドが大きいといってもそんな端で寝たら落っこちるぞ。もっとこっちにおいで」
ルルーシュはそう言って右手で布団を押し上げた。すると彼と僕の間に人ひとり分の空洞があるのが見える。
もしもここで拒んだら、不自然に思われるだろうか。
「…………うん」
迷いは消えないけど、僕はルルーシュの言葉に従って身体を動かした。
「おやすみ、ロロ」
「……おやすみなさい、兄さん……」
初めて口にする就寝の挨拶はどことなくぎこちなく、じんわりと僕の胸を圧迫する。たぶん、心を占めてるのはもどかしさだと思いながら、僕は諦めたように目を閉じた。
人の気配に敏感な僕ははたして隣、それもごく間近に人がいる状況で眠れるのだろうかという心配は杞憂に終わったようだ。
翌朝、目を覚ました僕の視界いっぱいに広がる淡い色彩の正体にようやく気づいたとき、任務中であるにもかかわらず、思わず声をあげそうになった。