ballast 2



誰が用意したのかは不明だが、冷蔵庫には食材が少しばかり詰められていた。ルルーシュは理事長の娘あたりが用意してくれたとでも思ったのだろう、さして不審がることもなく「そろそろ腹も空いただろう?」と言って夕飯を作りはじめる。
どうしていいか分からずキッチンの入り口あたりをうろうろしていると、すぐ出来るから大人しく待っているように言われてしまう。キッチンに入ったところで手伝えることなど何もないから、彼の言葉通り僕はダイニングへ引き返して待つことにした。何もしないで待つことには慣れていたけど、普通の弟だったらどうするのだろうか。たぶん何もしないでひたすら待つなんてことはない。
なんとなく、テレビをつけてみる。
ブラックリベリオンが終息してから半月が過ぎた今でも、ニュースはそのことで持ちきりだった。黒の騎士団の残した爪跡は大きく、崩れてしまった租界の一部はゲットーとそう変わらない光景だ。
そしてランペルージ兄弟は、そんな租界とゲットーの境界線があいまいなところで、黒の騎士団残党によるテロに巻き込まれた、という設定になっている。
本当はブラックリベリオンそのものに巻き込まれたことにしたかったようだが、ルルーシュの頭の傷に雑菌が入ったことと記憶改竄を受けた後遺症か、彼は数日間高熱に魘され、ようやく目を覚ましたのが今日だったのだ。不自然に日にちが経ちすぎている。とりあえず「テロに巻き込まれた」というところをクリアしていれば十分だったらしいから、齟齬をきたすことはおそらくないのだろう。
頭の傷も治りかけていたが、彼に違和感を抱かせることはなかったようだ。もしかしたら、完治しないように誰かが工作した可能性もあるが、そのあたりのことは僕は詳しく知らされていない。でもべつに不都合はないはずだ。

(それよりも、考えるべきなのはこれからのことだ)

ぼんやりとそんなことを考えていたら、キッチンからワゴンとともにルルーシュが現れた。

「おまたせ、ロロ」

次々と皿をテーブルのうえに並べてゆく。あの冷蔵庫の中身をどう調理したらこれらが出来上がるんだろう。食事とは味を楽しむものではなく栄養を取るための行為だと認識している僕には到底名前が分からないような豪華な料理の数々。
配膳を終えたルルーシュはエプロンを外して目の前の席に腰を下ろすと「さあ食べようか」と食事を促してきた。
「うん……」
少し迷ったすえ、黄金色をしたスープに口をつける。途端に広がる深い味わいは、これまで僕が食べてきたものとあまりに違いすぎて、どんな感想を抱いていいのか咄嗟に分からなくなった。それは彼の作った料理がまずいということではない。単に僕の語彙が貧弱なだけだ。
言うべき感想を考えている間も、スプーンを二度、三度と口元に運ぶ。

「味はどうだ? 下ごしらえする時間がなかったから、あまり手のこんだものは作れなかったんだが……」
「おいしいよ、兄さん」

結局、率直な言葉しか出てこない。でもそれは嘘偽りではなく、僕の本心だった。
なのにルルーシュは微妙な顔つきで僕を見ている。

「本当に?」

どうしたんだろうと思っていたら、疑わしそうに聞き返してくる。おいしいの一言だけではやはりだめなんだろうか。

「え、うん。どうして?」
「……だっておまえ、顔が笑ってないじゃないか」
「―――――、」

これでも一応、笑顔というものをつくっているつもりでいたから、ルルーシュのこの指摘には思わず固まってしまった。

「――ごめん、兄さん」

いまの僕には謝罪の言葉を紡ぐだけで精一杯だ。
しかし、よっぽど驚きが顔に出ていたのだろうか。指摘した当の本人も、僕の反応にびっくりした顔をしている。

「――いや、いいんだ。そうだよな、怖い思いをしたばかりなのに……無神経なことを言ってごめん」

どうやら僕の無表情はテロに遭ったことで感じた恐怖心によるものだと、彼は結論づけたらしい。それは僕にとって好都合な勘違いだから、否定せずに曖昧な返事で答えて、その場を濁した。


僕には笑顔の記憶がない。
ふつうの子どもだったら、母親なり父親なり周りの人間の笑顔をその目で見て、自然と覚えて、吸収して、「笑う」という感情表現を自分のものにする。
だけど僕には両親がいない。物心ついてから僕の周りに居たのは、感情を教え込もうという気のまったくない人間だけだった。だから僕は、顔の筋肉のどこをどう動かせば笑顔をつくれるのか、さっぱり分からないのだ。たぶんそんなことを考えている時点でだめなんだろう。目の前で弟に微笑みかける兄は、きっと無意識にその表情を浮かべているのだから。

これまで僕が見てきた、作り笑い、冷笑、嘲笑、そのどれとも違う。
事前に参考資料にと見せられた写真のなかの笑顔とも、少し違う。

(きっとルルーシュはいま、妹に笑顔を向けているんだ)

目の見えない少女は写真のなかで彼のような笑みを浮かべていた。目が見えていたころ、彼の笑顔を間近で見続けていたはずだ。だから写真のなかの彼女は、いま目の前にいる彼のような笑顔をつくることができるのだろう。

そしてルルーシュ・ランペルージの弟であるロロ・ランペルージもまた、こんな微笑ができてしかるべきなのだ。

(……できるように、なるのかな)

今更のことながら、ギアスのことだけを考慮して機情に僕を配置した人間の判断は間違っていると思った。


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