ballast 1



偽りの兄を与えられ、それまでにない長期間の任務につくことになった。
僕の右の瞳に宿る力は、僕を中心とした半径十数メートル範囲内の生物の時――思考や動作を止めるもの。暗殺にはうってつけの能力。
相手の懐に飛び込むために潜入することは多々あったけど、今回のように先行きの見えない任務に就かされたのは初めてのことだった。
そのうえ僕は、監視対象であるルルーシュ・ランペルージの弟としてこれから生活していかなければならない。
命令には、従う。
それ以外の選択肢なんて僕ははじめから持ち合わせていない。今までそうやって生かされてきたのだ。どれだけ不自由な任務であろうと、与えられたものは絶対にやり遂げる。

でも困ったことに、僕は家族というものを知らないのだった。




* * *




「ロロ……!」
病室に兄――ルルーシュ・ランペルージが飛び込んできた。縺れるような足取りで僕のところまで駆けてきたかと思うと、そっと肩に手を置いて、顔を覗き込んでくる。
「大丈夫だったか? 怪我は?」
そう言う彼の目は、少しだけ潤んでいるように見えた。声もどこか震えているような気がする。

(おそらく彼は、「弟」を心配しているのだろう)

自分で弾き出した答えに、逆に戸惑いを覚えて、思わず視線を彼の目から逸らしてしまう。それでは怪しまれてしまうから、そのまま視線を自分の左足のほうに移した。足首のあたりには白い包帯が巻かれている。機情が設定した「ランペルージ兄弟の帰還」に合わせ、僕の足には軽い打撲傷のほかに、それほど深くない傷がつけられていた。尖った瓦礫の先で切ったような、あまり見た目のよくない、痕が残りそうな傷だ。
偽装工作は徹底しておかないと、すぐにボロが出てしまう。手に馴染んだナイフで自分の肌をわざと醜く切るのはあまりいい気がしなかったけど、仕方がない。
「大丈夫だよ、兄さん。少し切っただけだから、お医者さんももう帰ってもいいって……それより兄さんのほうこそ、」
用意されていた台本の台詞を諳んじていたら、急に身体を引き寄せられた。
「!」
唐突な行動の意味が分からず、動揺から咄嗟にギアスを使ってしまう。しまったと思ったときにはすでにギアスは発動していて、ぴたりとルルーシュの動きが止まった。

「………………」

現状を理解するには相当な時間が要った。
引き寄せられた僕の身体はルルーシュに密着していて、彼の腕は僕の背中にまわっている。視線だけ動かして横を見ると、艶やかな黒髪が視界に入ってくる。
彼は僕を拘束しようとしているのだろうか? もしそうならこれは効率が悪い。記憶は改竄されても、持っている知識に支障はないはずだ。拘束するならもっとマシな方法を使うだろう。
(それなら結局、彼は何をしたいんだ?)

「……よかった」

考えあぐねている内にギアスの効果が切れてしまった。ルルーシュの時は再び動き出し、僕はさらに身体を引き寄せられる。

「軽い怪我だけですんで、よかった。おまえが無事で、本当によかった……」

馴染みのない言葉が次々と耳に入ってくる。

(彼は何を言っているんだ?)

僕はどうしていいか分からず、両手を垂れたまま突っ立ていることしか出来なかった。




* * *




だいぶ日が落ちたころ。監視者たちを大勢引き連れながらアッシュフォード学園に帰ってきた僕たちは、理事長たちに迎えられたあと、彼がそれまで妹と暮らしていたクラブハウスに向かった。
僕の足の怪我を慮ってか、ルルーシュの歩行速度は目に見えて遅い。そのうえ、たまに足を止めては僕の様子を窺ってくる。気まずい思いをしながらクラブハウスの門をくぐると、ルルーシュは「ちょっと取ってくるものがあるから、先にダイニングへ行っててくれ」と言って足早に階段を駆け上がっていった。
学園の至るところに仕掛けられた監視カメラに死角はない。僕がついていく必要もないだろうと判断し、彼に言われた通りダイニングへ足を向ける。この任務が決まったときにアッシュフォード学園の地図を頭にたたきこんだから、場所は分かっていた。


「弟」はどういう状態で兄を待つものなのだろう?

参考資料に載っていないことに直面すると、途端に僕の身体は強張ってしまう。いつものように安請け合いした任務だったけど、今回は勝手が違いすぎて戸惑いが大きい。
とりあえず手近なところにあった椅子に座ることにする。たぶん、間違いではないはずだ。
すると間を置かずルルーシュがダイニングへ入ってきた。腕になにかを抱えている。思わず身構えるが、ルルーシュはそれを机のうえに置くと、僕の隣に腰掛けた。
「ロロ、足を見せてみろ」
おそらく怪我をした足のことを言っているのだろう。身体をルルーシュのほうへ向けると、彼は素早く僕の左足を取り上げて自分の膝のうえに乗せる。そして手際よく包帯を解いていった。
もしかしたら傷口を見ようとしているのかもしれない。やはり傷をつけておいて良かった。
「………………」
包帯の下にある5センチほどの赤い線を見て、ルルーシュは顔を顰めた。なんでそんな顔をするんだろう。そこまでひどい傷ではないはずだ。どこかおかしかったのだろうか。もしかして、切り傷に包帯はやりすぎなのかもしれない。だけど彼の妹であるナナリーは足の不自由な少女だから、妹が弟に摩り替わってる違和感を解消するため、多少あからさまに足の怪我をアピールする必要があった。本当なら骨折でもしていたほうが都合がいいんだけど、それでは任務に支障がでる。最優先すべきはCCの捕獲だ。

どうしよう。どうすればいい。

「ごめん」
「え?」

突然出た謝罪の言葉に、虚を衝かれた。

「黒の騎士団の活動が活発化しているなか、おまえを外に連れて行くなんて、浅はかだった……大事な弟を危険な目に遭わせて。この傷も、負うことなんてなかったのに」

そういうことかと納得した。彼は「妹」に大層甘い人物だ。自分が原因で「弟」が傷を負ったことに、自責の念に駆られているらしい。なら対応できる。途切れてしまっていた台本の台詞を続けることにしよう。
「兄さんのほうこそ、僕を庇わなければ頭に傷を負うことはなかったんだよ?」
目の前のルルーシュの頭にはぐるぐると包帯が巻かれている。ブリタニア人には珍しい黒い髪の間から見えるそれは、視覚の効果で痛々しく見える。
取り押さえられたときに負ったという傷は、「テロに巻き込まれた際、弟を庇ってできたもの」という記憶に書き換えられていた。
だから機情の用意した、兄思いの弟による台詞を僕はただなぞっただけなのに、それを聞いたルルーシュは痛ましそうにその目を細める。

「俺のことはいいんだ、おまえさえ、無事でいてくれれば……」

そんなことを言われたのは、はじめてだった。

言葉も返せないで呆然としていると、ルルーシュは机のうえに置いていた箱――救急箱から新しいガーゼやら消毒液やら取り出し、鮮やかな手つきで処置していった。そしてそっと僕の足を膝から下ろすと、昼間病院でしたように、椅子に座ったままの僕を引き寄せる。

「もう絶対におまえを危険な目に遭わせたりしないからな」

二回目になってようやく僕は、彼に抱きしめられているのだと気づいた。そんなこと今までされたこともしたこともなかったから、分からなかったのだ。

(抱きしめる、って、こういうことなんだ……)

はじめて感じる人の体温は、不思議といやじゃなかった。


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