Umbrella



(ついてないな……)

ロロは深いため息をついた。見上げた空からは大粒の雨が降っている。布の屋根に当たったそれはばちばちとすごい音を立てていて、どしゃ降りと言ってもいいほどの勢いだ。
両手には大量の荷物。
傘はない。

(どうしよう……)

定休日の札がかかった扉に力なく凭れかかった。
せめてアーケードを出るまえに降ってくれていたら、と思わずにはいられない。傘だって買えただろうし、買えなかったところで雨が止むまでの暇つぶしには事欠かない。だが予想外の雨が降り出したのは駅に向かう中間地点。そのうえ予兆もなにもなく、突然バケツをひっくり返したような大雨に襲われたものだから、雨宿りするほかなかった。荷物を濡らすわけにはいかなかったのだ。せめて小雨だったら駅まで走れたのにと、ロロは憎々しげに暗い空を見上げる。


生徒会長の思いつきによる突発企画を行うために、生徒会のみんなが居残って書類やら何やらを用意しているなか、音をあげたのはやはり当の会長本人だった。逃亡は阻止できたものの、みんなも正直疲れている。それを見逃さなかった会長の「気分転換にみんなで買出しに行きましょう!」という誘いにノーという答えを突きつけたのはロロの兄であるルルーシュだ。
そんな時間があるならさっさと仕事を終わらせるべきだという彼の真っ当な主張はしかし、会長相手に通るはずもなかった。最終的にルルーシュが妥協し、じゃんけんに負けたひとりだけが買出しに行くというところで落ち着いた。
そしてロロがじゃんけんに負けた瞬間、ルルーシュの顔がさっと青ざめたのは言うまでもない。さっきまでの強固な主張を翻して「俺もついていく」と言い張っていたのだが、リヴァルの「ルルーシュくん、君さっきひとりだけって言ってたでしょ?」という茶化しと会長の「ついていくなら私も!」という便乗を聞いて諦めた。ロロ自身、1時間くらいで済む用事だと思っていたからひとりで学園の外に出てきたのだが、こんな足止めをくらう羽目になるのなら無理にでもついてきてもらうべきだったと悔やむが、すべて後の祭りだ。

降りはじめたころより雨の勢いはマシになったが、それでもまだ止む気配を見せない。あとどのくらいこの場で待っていればいいのか見当がつかなかった。

(そもそも暗くなるまえに止むのかな)

もしかしたら明日の朝まで降り続けるかもしれない。
ふとした思い浮かんだ想像のせいで、憂鬱さが一気に増してしまった。無意識に、さっきよりも重いため息がもれる。

(こうしている間に彼の前にC.C.が現れでもしたらどうしよう)

どうしようも何も、機情の目的はあくまで魔女の捕獲だからそれは願ったり叶ったりの状況。そして捕獲した時点で任務は完了、監視対象を始末して、長期任務の煩わしさからは解放される。むしろ対象から離れている間に事が済んでいればそれほど楽なことはない。だというのにロロは、そんな事態が訪れるかもしれないという可能性に幾ばくかの不安を感じていた。それは純然たる事実であるのにロロ自身に自覚はなく、ただ出所不明の焦燥感に駆られるだけだ。
両手に下げた買い物袋は重いし、雨が降り始めてからずっと立ち続けているが、軍人であるロロはその程度で疲れは見せない。だが憂鬱な感情は少年の肩にぐっと重くのしかかってくる。

(はやく、雨止まないかな……)

いっそ荷物を台無しにする覚悟で駅まで走ってしまえばいいのだが、そこまでの踏ん切りはつかなった。何事もなかった場合、荷物を水浸しにしてしまった代償が大きすぎる。

結局は扉に背凭れたまま待つことに決める。

だがそう決めたからといって、逸る気持ちが落ち着くこともなく、むしろ一層ぐじぐじと心をかき乱されてしまう。

軽くかぶりを振ることで、螺旋を描き続ける思考を無理やり飛ばした。

(なにか別のものに注意を向けよう)

しかし両手が塞がっているため、出来ることは限られている。懐のポケットに入っている携帯を取ろうかとも思ったが、荷物を抱えたこの状況ではうっかり水溜りに落としてしまうこともありえる。そんなことばかり考えてしまうから、自分の気をそらす上手い方法がなかなか見つからない。

ロロはふと視線を上げて、歩道を歩く人々に目を向けた。当然ながら道行く人はみな傘を差している。雨で灰色がかった視界のなかで、色とりどりの傘だけがやけに鮮明に映った。

(そういえば、傘ってあまり使ったことがない)

仲睦まじそうな親子が反対側の歩道を歩いているのに気づいて、ロロはそんなことを思った。

幼稚園ほどの女の子は黄色いレインコートを着て、水溜りに長靴を突っ込んでは笑い声を立てている。クリーム色の傘を差した母親はそんな子どもに注意しつつもどこか微笑ましそうだ。

自分には縁のない、ごくありふれた、幸せな日常の一端。

幼いころは、そんなものを見たところで羨ましさも妬ましさも諦めも感じたことはなかった。軍に属しているロロにとって、任務を与えられてそれを遂行するということが普通であっても、親と子どもが触れ合うことはそうではない。感覚が違うから、当然嫉妬という感情が湧くこともなかったのだ。

(だけど、いまは――)

「ルーシー!」

雨音にまじって聞こえてきた、それが子どもの名前だろうか。母親に呼ばれた女の子は嬉しそうに駆け寄り、クリーム色の傘に入る。ふたりの並んだ背中が遠くなっていくのを、ロロはぼんやりと目で追っていた。
淡い色をした傘がやがて視界から消えてしまっても、顔はずっとそっちを向いたままだった。

突然間近で自分の名前を呼ばれるまでは。

「ロロ」
「え?」

慌てて振り返ると、雨のなか紺色の傘を差したルルーシュが立っていて、予想外の事態にロロの身体は強張った。

「兄さん? なんでこんなところに」

学園にいるはずの監視対象がこの場にいる理由がロロには分からなかった。狼狽の色を隠せない。どうしよう、落ち着かなくてはと思うあまり、余計に焦ってしまう。
だがロロの反応は不審に思われなかったらしい。

「雨が降ってきたからな、おまえを迎えに」

案の定立ち往生してたなと笑うルルーシュの手元には紺よりは薄みの青色の傘がある。それは以前ふたりで買い揃えたロロの傘だった。

「そう、なの……」

押し寄せてきたいくつもの感情の波をやりすごすことが出来ず、歯切れの悪い返事をしてしまう。するとルルーシュは突然「そうだ、どうせなら一緒の傘で帰るか」と提案してきた。

「え? なんで? だって傘は2本あるのに」
「最近試験やら補習やらで兄弟が触れ合う時間が足りなかったんじゃないかと思ってさ」
「補習に関しては兄さんの自業自得だけど、でも男同士で相合傘っていうのも」
「いいんだよ、俺たちは兄弟なんだから」

ほら、と傘を傾けられる。そこまでされてしまうと、ロロは兄に従わざるをえない。逡巡しながらも傘のなかに入ると、ルルーシュに荷物をひとつ強引に奪われた。あっと思う暇もなく、傘を持ったルルーシュはそのまま歩き出してしまう。濡れないようにと慌てて足を動かすと、肩が並んだところで歩調がゆっくりとしたものになった。おそらく自分に合わせているのだろうと思うと、ロロはむず痒い気持ちになる。とても複雑だ。だけどその複雑な心中のうち、半分以上が嬉しいという成分で占められているということくらい、感情の機微に疎いロロにだって分かる。

「折角だからどこかで美味しいものを食べて帰ろうか」
「うん」

鬱陶しい雨のなかで朗らかに微笑む兄を見て、ロロもまた顔を綻ばせる。隙をついて自分の傘を盗ろうという気は起きなかった。


2008.06.06  Yu.Mishima