ある機密情報局員の私見と至言
「言っている意味がよく分かりません」
同僚であるロロ・ランペルージの、いっそ清々しささえ感じられるほどはっきりした口調に、ヴィレッタ・ヌゥの顔はぴくりと引き攣った。
「おまえな……」
表情の読めない顔を睨みつけるが、ロロは瞬きをするだけで、そこに反省の色は少しも見られない。それどころか淡々と「話はそれだけですか? それなら僕、もう上に戻りたいんですけど」などと言い募るものだから、ヴィレッタは眉をいっそう顰める。そして自分たちが貯水槽で密談しているという事実をいっとき忘れて、迫力のある怒声を響かせた。
「ロロ・ランペルージ! 話はまだ終わっていない!」
踵を返そうとしていたロロはその言葉を聞いて、面倒くさそうに身体を向き直した。先ほどとは違い、不愉快な気持ちを隠そうともせずに「何ですか」と問いてくる。
そのふてぶてしい態度にヴィレッタの堪忍袋の緒は切れそうになるが、それまで培ってきた自制心でなんとか押し止めた。瞳を閉じ、一呼吸置いて気持ちを落ち着かせる。
「……分からないようなら、もう一度言おう。監視対象と一緒に眠るのはもうやめろ」
「分かっていただけないようなのでもう一度言いますけど、意味が分かりません。彼女と僕は姉弟なので問題はないはずでは?」
「設定上の姉弟だろう! いや、たとえ本当に血の繋がった姉弟だとしても、年齢的に問題だ!」
監視対象が女性ということもあって、それなりの気配りのもと任務は行われている。たとえば学園中に仕掛けられた監視カメラ。もちろんクラブハウスも例外ではなく、個室はもちろんのことバストイレにまで監視の目は張り巡らされている。しかしパーソナルスペースである場所、バス、トイレ、ルルーシュの私室はモニタールームの画面には映らないようになっていた。それらはすべてヴィレッタの所持している携帯モニターに映し出されるようになっており、何も問題がなければ画像は当日のうちに破棄される。
さらに言えば、同性であるヴィレッタは、せめてトイレのカメラくらい外してもいいのではないかとも常日頃から他の局員に漏らしている。その主張が通れば、バスルームのカメラも外してやりたいと考えているし、私室に付けられたカメラも、就寝中くらいベッドが映らない範囲を映すのみでいいのではないかとすら思っている。
魔女をおびき寄せる餌とはいえ、対象はうら若き年頃の娘なのだ。そのくらいの気遣い、してもいいではないか、と。
だというのに対象の弟役であるロロは、そんなヴィレッタの気配りなど何所吹く風。
過剰なスキンシップはおもにルルーシュからロロへ向けてのものだから致し方ないと納得は出来ても、ひとつのベッドで一緒に眠るのはいくらなんでもやりすぎだと言わずにはいられない。
はじめのころは、まあヴィレッタも我慢できた。今ここにはいない妹とルルーシュはたいへん仲睦まじい姉妹だったと資料にあったから、記憶を改竄されても身体が「弟に接する態度」というものに馴染んでいないのだろうと。同僚であるロロもまた、それまで軍にずっと拘束されていた身だから、家族の温かみに触れるのも悪くないとヴィレッタは楽観視していた。
でもそれはあくまで最初のころだけの話である。
それが一度や二度のことなら、温かい姉弟のワンエピソードとして割りきれた。しかし両手では数え切れないくらいくらい頻繁に行われてしまっては、機情に身を置く人間として、また一教師として、黙って見過ごすわけにはいかない。
なにせふたりは表向き姉弟ではあるが、実際は赤の他人である。その上ふたりとも高校生だ。
可能性は低くとも、万が一ということもある。
だからこそ間違いを起こさぬように、ヴィレッタはわざわざロロを貯水槽へ呼び出して注意を促しているのだ。それなのに返ってきた言葉は「言っている意味がよく分かりません」である。相手がただの一般学生だったら怒りに身を任せて殴っていたかもしれない。だが目の前の人物は体感時間を止めるギアスを持っている。下手に動けば自分が殺されてしまう。
難しい顔つきで言葉を選びあぐねているヴィレッタに、逆にロロが質問をぶつけた。
「ルルーシュはなにか言っていましたか?」
出し抜けに質問されたヴィレッタの脳裏に、朝の出来事がよみがえる。
「スキンシップが過剰なんじゃないか?」と注意しても、ルルーシュは取り付く島もなかった。監視が露見せぬようにとあれこれ言葉を選んでいては、真剣味もなにもあったものじゃない。結局「教師と言えど、学生のプライベートに干渉する権利はないでしょう?」と会話を強制的に打ち切られてしまった。
(あいつも一応年頃の女だろうに、それでいいのか……!)
ぐっと言葉が詰まる。
そんなヴィレッタの様子を注視していたロロは、抑揚のない声で続けた。
「それなら問題はありませんよね。それに、これまでの習慣を無理にやめさせでもしたら、逆に任務に支障を来たすおそれがあるのでは? C.C.捕獲もまだだというのに、記憶が戻ってしまってはまずいと思いますが」
ロロの言及にヴィレッタはぴくぴくと顔を引き攣らせながらも反論が出来ずにいる。一瞬、ロロの持つギアスのことも忘れて教育的指導を繰り出しそうになるが、手すりに力を籠めることでなんとかそれをやり過ごす。
「じゃあ話も終わったようなので、僕は戻ります」
だがヴィレッタの必死の沈黙は、ロロに都合よく解釈されてしまった。
「待て! まだ話は終わっていないぞ!」
思わず手すりから身を乗り出して叫ぶが、ヴィレッタの声に重なるように無機質な音が貯水槽に反響した。
不意の出来事にヴィレッタはハッと身を竦ませた。だがロロは落ち着いた様子で制服のポケットから携帯を取り出す。そして画面に表示された名前を見るや、「電話、姉さんからだったので」とだけ言い置いてそそくさと去って行ってしまった。
「………………」
この場にいるのは、取り残され呆然としたヴィレッタだけだ。
やがて我に返ると、身体が怒りでわなわなと震え出した。握り締めていた手すりが少しばかり形を変えてゆく。
「あいつら、まさしく似たもの姉弟じゃないか……!」
血が繋がっていないなんて、嘘だろう!
本当は実の姉弟なんだろう!
むなしく響いた彼女の言葉はしかし、くだんの弟に聞かれたところで喜ばれるだけのものだった。
2008.05.24 Yu.Mishima