誘拐された夜
晩御飯を食べて数時間経った頃。夏の暑さにもクーラーにも嫌気がさしたから、弟と妹を連れて家からちょっと離れたコンビニまでアイスを買いに行ったその帰りに――
――誘拐された。
犯行は顔見知りによるもので、所要時間はものの数秒。
まあ誘拐と言っても大袈裟なものではないし、事件性はない……はずだ。
***
夜になって気温も少し下がったことだし、どうせなら普段とは違うコンビニまで歩いてアイスを買いに行こうかと弟妹を誘ったのは俺だった。ほとんど一日中クーラーの効いた部屋に居ては身体に毒だし、なにより久しぶりにアイスが食べたくなった。最近出たばかりの、ハーゲンダッツのクリスピーサンド、チョコレートアンサンブル。たまの贅沢くらい罰はあたるまい。俺と同じようにリビングでバテていた弟妹に声をかけると、「珍しい」とびっくりしつつもすぐに笑顔を浮かべて玄関へ向かった。そしていつもよりもゆったりとした歩調で無駄話をしながらコンビニまで行く。昼間よりも涼しいとはいえ歩くだけで汗をかいてしまうほど暑く不快だったが、少しくらい外に出て汗をかいたほうが健康には良い。
自分たちもハーゲンダッツが食べたいという弟妹のおねだりを聞き入れ、ついでにそろそろ残業を終えて帰ってくるだろう母親の分まで買っておく。母の分だけなかったら、「みんなだけズルイ!」と騒ぐだろうことは目に見えていたからだ。
そうして三人とも気分良くコンビニを出て、この暑さでは家に着く前にアイスが溶けてしまうからと、三人揃って食べながら帰り道を歩いた。やっぱりたまに食べるハーゲンダッツは美味しいと満足し、いつもよりも早いペースで食べ終えた時には家の近くまで来ていた。
その時だ。
車が二台すれ違うのはギリギリという道に、一台の車が俺たちの後方からやってきた。
珍しいなと振り返ったらなぜか俺の間横で突然車が止まり、不思議に思う間もなく俺は車のなかに引きずり込まれた――と、思う。
出し抜けの出来事に驚いたためか、このあたりの俺の時間の感覚はちょっと狂っている。気が付いたら車はすでに走り出したあとで、呆気にとられた俺は言葉を失った。
この年になって、というか、まさかこの俺が、というか。
諸事情により誘拐された経験はそれはもう数えきれないほどあるが、身長が伸びるにつれその回数は徐々に減ってゆき、最近はもう誘拐される心配もなくなったというのに。
俺は慢心していたのか? 油断していたというのか?
それにしたってあっさり誘拐されすぎだろう……!
自分の愚かさ加減にほとほと呆れる。そしてそれ以上に悲しくなってくる。情けなさ過ぎて涙まで出てきそうだ。だがこのまま大人しく助手席で打ちひしがれているわけにもいかない。
一体どこの馬鹿が俺を車に連れ込んだんだ。ゆっくり顔をあげた俺の思考回路はしかし、再び停止してしまった。
「………………スザク?」
「なあに、ルルーシュ」
なんと、誘拐犯は俺の友人だった。
それも小学生の頃からの付き合いがある、親友と呼べる男だった。
「………………スザク?」
「だからなあに、ルルーシュ」
「……なんでお前が俺を浚ったりするんだ?」
「浚う?」
邪気の感じれらない笑顔で、意味が分からないとばかりに言葉を返された。
いやいや、俺のほうこそ意味が分からない。
いきなり車のなかに俺を連れ込んだのはお前じゃないか。
怪訝な顔で見つめていたら、スザクは機嫌良さそうにハンドルを切った。半分寝そべっているような変な格好でいたから体勢を崩して座席から滑り落ちそうになる。急いで起き上がり、座席にちゃんと座りなおしてシートベルトもつけたら、運転席のスザクが嬉しそうな声でこんなことを言った。
「ドライブに行きたくてさ」
――……ドライブ?
「今日やっと免許取れたから、ルルーシュを誘ってドライブに行きたいなーって思って」
えへへっと照れ笑いを浮かべるスザクの横っ面を思い切り引っ叩きたくなったが、相手は一応ドライバーなので、そこは自重した。なによりも「今日やっと免許取れた」というスザクの言葉が怖かった。願わくば俺の聞き間違いであってほしい。
免許が取れたその日に友人を拉致してドライブを敢行なんて非常識は、俺の夢であってほしい。
現実逃避で頬を抓ろうとして、俺は動きを止めた。
「……スザク」
「なに?」
「俺の勘違いでなければ、この先は高速道路の入り口だった気がするんだが……」
「うん、合ってるよ」
「…………お前、馬鹿なんじゃないか!?」
事故ってもいいという気持ちでスザクの頭を殴ったのだが、俺の渾身の力はスザクの運転になんの影響も及ぼさなかった。それどころかあははーと笑い声をあげているからゾッとする。
「せっかくだから首都高走りたいんだ」
「断言してやる。お前は馬鹿だ!」
「あ、ルルーシュは海に行くほうがよかった?」
「俺はそういうことを言いたいわけではない! いいから今すぐに車を止めろ! 俺を下せ! 首都高はお前ひとりで行けー! !」
スザクの首を両手で絞めながら耳元でがなり立てるが、効果はない。ETCを搭載した車は俺の制止の声を一切聞くことなく、いやにスムーズに料金所を通過した。顔から血の気が引くと同時に車は加速した。
一体いつになったら俺は家へ帰れるのだろう……。
いや、そのまえに、無事に生きて帰れる保証はどこにもない。
「…………! !」
動揺した俺はスザクの横っ面にもう一発浴びせてやった。平手ではなくぐーで思いっきり。なのにスザクの笑顔は崩れない。そのうえ「首都高ドライブしたら、そのまま北海道に旅行にでも行こうか」と、笑顔で凄まれた。
万一の事態になったら怪我をしてもいいから車から飛び降りようと俺は決意した。
2010.09.20 Yu.Mishima