家族劇場 * フェネット家
「た、ただいま〜……」
自宅のドアを開けてなんとか靴を脱いだ途端、シャーリーは玄関に崩れ落ちた。
ずっと残業続きなうえ、連続勤務日は今日で最高記録を更新した。学生時代に水泳で鍛えていたとはいえ、正直キツい。毎日へとへとになりながら働き続ける姿を見た周りの友人には「旦那の稼ぎで十分なんだから、仕事辞めたら?」とよく言われる。
一時期は辞表を出すべきかすごく悩んだものだが、それを見た夫に「仕事が嫌になったのか?」と訊かれて、見失っていた大事なことを思い出した。「ううん」とシャーリーは笑顔で辞表を破り捨てた。それ以来、以前にも増してあくせく働いている。
「おかえり、シャーリー。今日もお疲れさま。夕飯の準備はすぐ出来るが、どうする?」
リビングへ続くドアから、エプロン姿の夫――ルルーシュがひょこっと顔を出した。近しい者だけに向ける特別な笑顔で「お疲れさま」と言われるだけで、シャーリーの疲れの半分は軽く吹っ飛んでしまう。
「あー、先にシャワー浴びようかな」
起き上がりながらそう答えると、ルルーシュの後ろからよたよたとこちらへ向かってくる小さな影に気づいた。
もう少しで1歳になるふたりの娘。
ルルーシュもまた足下の子どもに気づくと、ひょいとその身体を抱き上げて玄関で座り込んだままのシャーリーのもとへやって来た。
「ほら、お母さんにおかえりなさいは?」
まだちゃんとした言葉はひとつも喋れないのだが、そろそろ何か単語を言うかもしれないと、ふたりは毎日辛抱強く、しかし楽しそうに呼びかけている。どうせなら最初の言葉は「お母さん」もしくは「お父さん」がいいなとそれぞれ思っているものだから、自分に注意を向けようと必死でもあった。
「ただいま〜いい子にしてた?」
「あ、あー、お」
言うか?
もしかして言うか?
お母さんだろうか、お父さんだろうか。ふたりは固唾を飲んで娘の口の動きに注目する。
「おとたん」
残念、お父さんだったか。
シャーリーはそう思ってしょんぼりと肩を落としたのだが、よくよく娘を見てみると、その視線はしっかり自分に向けられていた。
「あれ? 私がお父さん? お母さんじゃなくて?」
「お、とたん」
照準はばっちりシャーリーに合わせられている。そして娘は顔をルルーシュへ向けると「おかたん」と嬉しそうに笑った。
「…………………」
「…………………」
複雑な表情で夫妻は顔を見合わせる。
「……赤ん坊っていっても、やはり観察力はすごいものだな」
「何ヶ月の時点で、家事をする人はお母さんて思うんだろうね……」
ふたりはアハハと力なく笑うので精一杯だった。
2008.08.03 Yu.Mishima (2012.01.12再掲載)