spree!! サンプル



序盤一部抜粋(p5〜p7)

帝人は段々と胸が苦しくなってきたことに疑問を覚えた。

満腹になって腹が苦しくなったのなら分かる。だが苦しいのは腹ではなく胸なのだ。酷い圧迫感がある。一体どうしてしまったのだろう。おかしいなあと思いながら自分の胸元に手を当て……――帝人は固まった。
薄っぺたく真っ平らな筈の胸が、なぜか柔らかい。それも異様に。柔らかさにも色んな種類の柔らかさがあるが、この手触りは今までに感じたことのない種類のものだった。
(え……! ? 何これ……! ?)
ぶわっと嫌な汗が噴き出る。
帝人は視線を下へ向けることが出来なかった。何故って、自分の手が感じている柔らかさは初めて感じるものだが、それがどういう柔らかさであるのか何となく分かるからである。
これは肉だ。胸に肉と脂肪が詰まっている。
(それって、つまり――)
それ以上は考えたくない。
無視できない強烈な違和感をスルーしようとするが、自分を誤魔化すことは出来ても他人まで誤魔化すことは出来なかった。
「お前いつの間に杏里サイズの胸なんか生やしたんだよー」と、帝人が身体を張ったギャグでもかましたのかと思ったらしい正臣が遠慮なくその膨らみを揉みしだく。そこで帝人は、これが詰め物でも何でもなく、正真正銘自分の胸であることを知った。
「ぎゃー! !」
帝人の悲鳴を聞き付けた皆は、一様に目を丸くした。そして正臣と同じ勘違いをした。準備が良いだの、そういう事をするのなら服装もきちんと変えないと駄目だの、いつの間にそんなにいっぱい詰めたんだだのと言って笑っている。皆、酒をしこたま飲んで酔っ払っていた。
「あれ? でも帝人くんうちに来た時そんな大荷物持っていたっけ? だめだよー他人の家の物を勝手に服の中に詰めちゃ」
新羅ももちろん酔っている。酔っていなかったらそれが本物であるときっと分かった筈だろう。
自分が置かれた状況を皆に正しく理解してもらえず、帝人は泣きそうになる。
「ちっ、違います! これは詰め物じゃなくて本物なんです……!」
そこまで言って、帝人は自分の声も普段より高いものであることに気づき、口を両手で覆った。一度声変わりを迎えたというのに男子にしてはまだ若干高めの声の帝人である。それよりも更に高い今の声は、どう考えても女の子の声にしか聞こえない。
「帝人、まさかお前――」
そう言う正臣の声もやはり、普段のものとは違う。平生の声が帝人よりも太いものである為その差は帝人よりも顕著だ。ついさっきまではいつも通りの声だったのに、何故正臣の声まで変わってしまっているのか。
帝人と正臣のふたりは互いに顔を見合わせた。そしてふたり同時に視線を正臣の胸元へ向ける。そこには何の膨らみもない。正臣はおもむろに自分の胸を両手で揉んだ。ぐにぐにと揉みながら、あいだあいだで「ん?」と首を傾げる。たっぷりの沈黙の後、正臣は俯いたまま「たぶん俺にも胸がある……?」と呟いた。
「……ある?」今度は顔を上げて、帝人に問いかけるように呟く。
「いやどうして疑問形?」と、帝人はそれに冷めた表情で返した。
帝人のツッコミに正臣はフッと自嘲の笑みを浮かべる。
「お前は知らないかもしれないけど、女の子にだってな、乳がない子はいっぱいいるんだぜ帝人よ……」
「つまりは貧乳なのね」
そう言ったのは、酔いと興奮で頬が紅潮した狩沢だ。門田、遊馬崎、渡草の三人は何かを予感したのか一斉に狩沢を取り抑え、その口を封じた。「フー! ウー!」と何やら叫び、バタバタ暴れている狩沢を、帝人と正臣は見なかったことにして流す。
「……狩沢さんの言う通り、俺は貧乳だ。AAカップだ」
つるぺた。まな板。断崖絶壁。女子としては貧相だが、それはあくまで女子基準の評価。
つまり男ではない。
「しっかし嘘だろ! ? 何このトンデモ事態! 何でいきなり胸が生えてきてんの! ? どうして股間が心細いことになってるの! ? 夢! ? 夢なの! ? つーか俺の声キンキンしててうるせえ!」
「そうだよ正臣。ちょっとウルサイから声落として」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ正臣に対し、帝人はどこまでも辛辣だった。自分の性別が突然変わってしまうという非常事態に遭遇しているにも拘わらず、普段と何ら変わらない冷たさだ。
「帝人、お前はどうしてそんなに落ち着いていられるんだ! ?」
自分よりもパニックに陥っている者が傍に居ると、人は相対的に落ち着いてくるものである。最初こそ驚きはしたものの、帝人は冷静さを取り戻しつつあった。
とは言え、突然自分の性別が変わったのだからもっと動転しても良いようなものである。帝人の非日常に対する順応性の高さは折紙付だが、それにしたって、と正臣は幼馴染の落ち着き様に衝撃を受ける。先程からずっと狼狽えてあたふたしているセルティのほうがよっぽど人間らしいではないか。
「だってどうしようもないでしょ?」
「お前兵だなー……」
「それに僕、こうなった原因に心当たりがあるんだ」
「えっ」
慌てふためくセルティとその他大勢を楽しそうに傍観している新羅に帝人は視線を向けた。
「ん? 何かな?」
「新羅さんですよね?」
「何が?」
「惚けないでください。僕と正臣がこうなってしまった原因です」
「でも私、今日は特に何も…………あ、」
考え込むような素振りを見せた後に不意に新羅の口から漏れた『あ』の一言に、正臣はいきり立った。



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中盤一部抜粋(p16〜p17)

階段を上り切ったところで一際大きなため息が帝人の口から零れた。もうあと数日で今年も終わりだというのに、一年の締め括りがコレ。ちらっと視線を下へ向ければとても立派な胸の膨らみが嫌でも目に入る。胸の重さに比例するように気が重い。
さっさと布団を敷いて横になろうと思いながら鍵を探っていたら、いつの間にか背後から伸びてきた手に帝人は抱き竦められていた。
「っっ!」思わず悲鳴を上げそうになるが、すぐにその腕が誰のものであるのかに気づいて慌てて悲鳴を呑み込む。
「いざやさん……?」
「正ー解。よく分かったね? 愛の力?」
帝人はそこでようやく身体の力を抜いた。
「いえ、あの、ファーが当たってるんですけど」
折原臨也のアイデンティティとも言うべきコートのファーが、外気ですっかり冷たくなった耳や首をくすぐる。その感触が気持ち良くてうっかり頬を擦り寄せれば、背後からくすっと笑い声が聞こえてきた。
「ところで帝人くん、女の子になっちゃった気分はどう?」
「どうしてその事をもう知ってるんですか臨也さん」
「それは俺が素敵な情報屋さんだからです」
「それ言えば何でもまかり通ると思っていたら大間違いですからね」
覗いていたのか、はたまた盗み聞きしていたのか。いずれにせよ恐ろしい話だ。あのメンバーの中に内通者がいるのだとしたら、それはそれで怖い。
(狩沢さん相当酔っ払ってたから、勢いで誰かに教えちゃってると考えられなくもない……でも狩沢さんて臨也さんの番号知ってるのかな)
あれこれ考えを巡らせていたら、帝人の頭に臨也が顎を載せてきた。地味に痛い。
「まあまあ、俺がどうやって情報を得たかなんて瑣末な事はどうでもいいじゃないか。それより、皆で鍋つつくのは楽しかったかい?」
「あ、はい。一人暮らしだと鍋って滅多に食べる機会がないので、たまに大勢で食べると凄く美味しく感じられますね」
全然瑣末な事だと思わないが、とりあえず帝人は流すことにした。だが一応後で盗聴器か何か付けられていないかチェックしておく必要がありそうだ。



book-05 sample 2012.01.03 Yu.Mishima