SUMMER WARS サンプル
冒頭部分
カッと身体を突き刺すような殺人光線を放つ太陽の下、がっくりと肩を落としてのたのた歩いているのは、何も暑さに参っているせいではない。じっとり汗ばんでいる制服のシャツは気になりはするけれど、無尽蔵の体力を誇る剣道部主将・枢木スザクにとって、猛暑日は敵足り得ない。それに夏はいちばん好きな季節だ。咽るような熱気は大衆からやる気や集中力を奪ってゆくが、逆にスザクは色んな意欲が湧く気になる。気になるというだけで、実際にその意欲が実生活に反映されているのかというと微妙なところだ。「夏場になるとお前は血の気が多くなる」という友人の言葉のとおり、好戦的になるのは確かではあるが。
でも夏がくるとそれだけで血湧き肉躍る。剣道の成績だって折れ線グラフで表すと夏がいちばん高い。そもそも向かうところ敵なしのスザクにとってその折れ線グラフはほぼ真っ直ぐ。近隣高校どころか全国区で名を馳せる剣士である。
それなのに、だ。
「全国大会で個人優勝……も、夢じゃないはずだったのに」
セミの鳴き声に埋もれるくらいの声音でぽつりと呟くと、スザクは大きなため息をついた。最初から落ちていた肩がさらにぐぐぐと落ちてゆく。
すると隣を歩いていた太陽みたいにきらきら光る金髪の少年が鬱陶しそうに、これまた短いため息をついた。
「がっかりすんのも分かるけど、いい加減やめないと鬱陶しいだけだぞ」
「だって……」
「それに負けたわけじゃないだろ?」
「出場すら出来なかったんだよ? 潔く負けたほうがまだマシだ。これじゃ諦めきれない」
「お前びっくりするくらい強運なくせに、たまにありえない不運に見舞われるな。両足首捻挫とかマジ意味分かんねえ。普段の反動?」
「人の不幸を笑うな」
ニヤニヤとからかいまじりの笑みを浮かべる部活仲間のジノ・ヴァインベルグにスザクはとびっきりのガンをくれてやるが、スザクがここまで気落ちしている理由を知っているうえ全国大会で入賞を果たした彼には屁でもないらしい。笑い声まであげだした。イラッときたスザクは真横にあった彼のわき腹に一発拳をお見舞いした。電光石火の早業で、重たいものを一発。油断していて避けることのできなかったジノのわき腹に見事にそれは決まった。ぐうっとうめき声をあげながら道端に蹲るジノを放ってスザクはすたすたと先を進む。もはや見慣れてしまった、高校の正門にしては立派すぎる気のする巨大なアーチを通り抜けると、ぽつぽつとだがスザクと同じように制服を着た生徒の姿が見えた。夏休みに入ってしまったから人の姿もまばらだ。部活動などの理由がない限り好き好んで学園へ来る奇特な人間はいない。部活動に従事している者はそれぞれ活動の場所――おもに体育館やグラウンドにいるため、校舎付近の人影は少ない。知った顔に軽く挨拶をしながらスザクは敷地の奥へ奥へと向かってゆく。
「……お前、ホントいい加減機嫌直せよ!」
少しして追いついてきたジノは悲痛に叫んだ。あのままずっと蹲っていればよかったのにとスザクは舌打ちする。ジノに聞こえるように舌打ちしたにも関わらず、スザクの酷い仕打ちに慣れている彼はそれを軽くスルーした。
「後ろばっか向いてないで前向きに行こうぜ! せっかくの夏休みじゃんか!」
ただでさえデカイ図体をしているのに大きなジェスチャーを加えて必死に言葉を続けるジノを、鬱陶しいなあと思いつつ無視してスザクはひたすら歩き続ける。
「女! 女、どう? 夏といえば、スイカと花火と女だろ!」
女。
その単語が耳に入った瞬間、スザクの脳裏にある人の顔がパッと浮かんだ。いつもだったらその顔を思い浮かべるだけで幸せな心地になるのに、全国大会に参加すら出来なかった現在のスザクがその顔を思い浮かべたところで、夏に入ってから下降線を辿りっぱなしの気分がさらに下へ下へ沈んでゆくだけだった。
「……スイカと花火で十分だよ」
「健全な高校生男子たるもの、潤いは必要だろ。せっかくの青春をまさかお前は全部部活に捧げるわけ? そんな寂しい青春、俺は許さん! ナンパに行こうぜ、ナンパ!」
「軽いナンパにほいほい付いてくる女にろくな女はいない」
「おま、それ言っちゃおしまいだろ……」
「それにジノとナンパの組み合わせはこりごりだしね」
去年の夏はなぜか部活の合宿のとき、当時の主将たちにジノとのナンパ対決を強要されてえらい目に遭ったのだ。ナンパの結果が悲惨だったわけではない。結果だけを見たら世の男どもが泣いて羨むほど大漁だった。まさに入れ食い状態だった。だが慎重に相手を選んでナンパしたはずなのに、予想外に相手が本気になってしまい、彼女達から逃げるのに難儀したのだ。当然、ふたりは合宿どころではなかった。
「あれは『勝負』って聞いて本気になったスザクも同罪だ」
「もう昔のことだからそれは別にいいんだけど、それよりジノ、君はどこまでついてくる気だ?」
校舎を突っ切るスザクが向かう先は部室棟。だが剣道部が活動している武道場は違う方角にある。この先にあるものと言ったら部室棟しかないわけだから、当然ジノの行き先も部室棟だろう。
だが部室棟の中にある、どの部室に向かうのか。
それが重要な問題だ。
「そんなの、決まってるじゃん」
女子が見たら卒倒しそうなきらめかしい笑みを浮かべたジノを、スザクはまた殴りつけたい気持ちに駆られた。
「邪魔すんなよ」
ドスをきかせた声に、歌うようにジノは答える。
「無・理!」
とりあえずスザクは力いっぱい脛を蹴りつけ、痛みにのた打ち回るジノを横目に携帯のフリップを片手で開けた。カチ、カチ、と見るからに不器用そうな手つきで操作する。
『――七月二十六日、月曜日。正午のニュースをお伝えします』
画面の中央に浮かぶ『12:00:00:00』の数字を見て、スザクは「よし」小さく頷いた。ワールドクロックと名づけられた時刻表示から無数の円が飛び出してくるのを待たずにぱくんとフリップを閉じてしまう。
スザクの目の前にある扉には『物理部』の札がかかっている。
この扉の向こうにいる人物は時間をきっちり守るタイプの人なため、剣道絡みでないと途端に時間にルーズになるスザクはここへ来るたびに時間のチェックを怠らない。携帯の内蔵時計では不安だからとわざわざOZに接続してワールドクロックを確認するほどである。
そして、また、スザクの憂鬱の原因の人物でもあった。
おそるおそるドアノブに手をかけるが、ここでもたもたしていても緊張が増すだけだと思い、勢いよくドアを開けて部室のなかに入った。
book-07 sample 2009.10.23 Yu.Mishima